韓国で暮らすということ。




気づけば、韓国在住8年目。
韓国で2児の母になろうとしているMeiです。



思っていた以上にいろんな出来事が起こり、その激動さからか忘れてしまっていることもたくさんあります。


私が韓国に来るきっかけとなったあれこれを、思い出と共に振り返ります。

ゆとり世代と言われる30代の方にはとても懐かしく
MZ世代と言われる、20代の方には今とは違う韓国との始まりを感じでいただけると思います。


私と韓国のはじまり

衝撃が走った2008年

もう一歩先にある韓国

韓国で暮らすということ



時を遡れば、18年前

世間は綺麗なスカイブルーのマフラーを巻いたヨン様に魅了されていました。


私の母も、例外なくその波に乗り冬のソナタ、秋の童話、ホテリア….
公式DVDやCDが次から次へと増えていきました。(その熱は今でも冷めていないから驚異です)



私は全くもって興味がない中、母に連れられ、初めて韓国に来たのもちょうどこの頃でした。


明洞餃子の真っ赤なキムチの辛さと、真鍮でできたお箸の重さは未だに忘れることはできません。







母の韓国ブームは冷めるどころかますますヒートアップし家の中で毎日聞こえるようになった韓国語から韓国の文化に触れはじめることになりました。


しかし、まだまだ私は全く興味がなく4年の月日が過ぎました。

2011 南山タワー近くのゲストハウス




忘れることができない2008年、夏。


衝撃の韓国の音楽との出会いです。
(ここではまだ敢えてK-POPとは書きません)


30代の韓国にハマった大半の方の入口はここでしょう。


それは“東方神起”です。

여름

当時、大学生活が面白くなく途方に暮れていた頃YouTubeでたまたま出てきた東方神起のMVを見て、衝撃が走りました。


もともと小さい頃からいろんな音楽が好きだった私は、洋楽でもJPOPでもない新しいジャンルの音楽とダンスに魅了され、YouTubeを毎日毎日、何時間も見続け気づけば外が明るくなる日が続きました。



夏休みが終わる頃にはすっかり東方神起の全部の動画を見尽くすぐらいにファンになり映像を見るだけで「何年何月の映像だ!」と当てられるくらいの能力を備えていました。

そして、韓国語を必死で翻訳する日々が始まりました。

オタクの皆さんには懐かしいcyworldやme2dayなど、兎に角寝ても覚めてもオタク活動に精進していました。嫌だった長い通学時間も東方神起の動画をダウンロードして電車の中ですらも推し活の時間となっていました。
(ちなみに大きな声では言えませんがユチョンペンでした)

ユチョンのジェラート屋さん。
2011年 明洞でTAXI収録に偶然出くわしたときの写真




それからKPOPの黄金時代と言われる2009年。

SHINeeのRing Ding Dongから始まり、沼から沼へと引きずりこまれました。


その頃の私の口癖は
“KPOPは世界を制するようになる!”


当時の私を知る友達は、久しぶりに会うと
『あの頃は遂に頭がバグったと思ったけど、本当にそうなっていてちょっと怖い!』とよく言われます。

それからすっかり韓国へとはまった私は
その翌年からは1人で韓国へ訪れるようになっていました。


その為には、

必然と韓国語が必要で
韓国人の友達が必要で


勉強が好きではない私はどうにか勉強せず韓国語を習得する手っ取り早い方法はないか考えた結果韓国好きの中では密かに流行っていたペンパルのようなアプリで友達作りを始めました。日本語を勉強している同世代の女の子の友達を見つけて、アプリの翻訳機を使いながら韓国語を使ってカカオトークのやり取りをする毎日が始まりました。


そして、韓国に旅行に来た時は一緒に遊んでもらったり旅行とは少し違う現地の友達とめぐるソウルの冒険でした。

明洞を歩くだけで、両手いっぱいにパックをもらっていた時代。
それがいつの頃からか、現地に馴染み過ぎてパックをもらえないようになっていました。


でもそれがちょっと嬉しくもあり、韓国語を褒められると決まり文句のように
아직 멀었어요~ㅋㅋㅋ(まだまだですよ~!)
と嬉しそうに言ってたのも、今では少し痒い思い出です。










もう一歩先にある韓国


そんな日がまた4年くらい続き
私の中の韓国ブームは音楽から徐々にファッションへと変わっていきました。

その頃、今の旦那さんでもある韓国人彼氏と出会い、3年の遠距離をしながら日本と韓国を行ったり来たりする日々が続きます。
いつの頃からか、日本にいる時より韓国にいるときの自分の方が韓国語を話している時の方がストレスが少なく、自分らしく生きていられるような気がして韓国で一度は住んでみたい!と強く思うようになりました。


韓国に暮らしたい理由≠彼氏がいるから ではなく、

韓国に暮らしたい理由=韓国語がどれくらい通用するのか試したい!と思い


大学生の頃から少しずつお金を貯めて留学資金を貯めていました。

ちなみに両親、とくに父は古いタイプの人間で、韓国留学などは大反対!留学するなら英語圏にいきなさい!と言われ続けていただので反対されることは大前提なため留学の資金を貯めながら、彼氏の存在も隠しながらひっそりと留学の準備を続けていました。







韓国で暮らすということ


2015年年末、25歳の冬。

突然、今しかない!という衝動に駆られまずは、彼氏に相談してみるも、賛成してくれるであろう彼氏が、まさかの


大反対…

理由は、韓国人でも仕事を探して一人で暮らすというのはとても大変なことなのに飲食店のアルバイトをしながら本当に一年間も住めるのかよく考えてみたほうがいい!という、ど正論を突きつけられ、当時はもう、大憤慨していました。



今思えば、優しさからの反対だということは、わかるのですが…


だたこれをきっかけに、真剣にどうやって暮らすか現実的に考え始めるようになりました。

2016年1月。



ビザを取ると決めてから、初めて親に韓国に行くことを伝えました。
もちろん大反対されるまま、逃げるように、2月に韓国へやってきました。

まさに強行突破。
親となった今は、とても親不孝な娘だったと反省しています。


2016年2月。



いよいよ韓国での生活がはじまりました。

大難関の家探し、ようやく見つけた家の契約当日。家主が来ず、不動やさんから「今日は契約ができません。」とすさまじいパワーワードを投げつけられました。


行く場所もないのに大きいスーツケース2個持って不動産で困り果てていたところ、横で付き添いで着てくれていたオンニ(知り合いのお姉さん)が不動産のおじさんに大激怒し、急遽、家主を呼び出すことができました。

「あ、言えばどうにかなったんだ」と戸惑いながら言ってみることの大切さに気づきました。
今後、このマインドは韓国で生活する上で、いろんな場面で遭遇するようになります。



今まで韓国人の友達や彼氏と何年もの間、遊んだりして普通の人よりは、韓国人のことを知っていたつもりだったのですが生活が始まると一変。


違いすぎる!!!この一言につきました。


運良く、私は入国後すぐに今の会社OHOTOROで働くこととなるのですが



仕事の場面でも
「言えばどうにかなる」
「言わなくては始まらない」
場面によく遭遇します。


見た目は似ている日本人と韓国人ですが生活スタイルや仕事のスタイルなにからなにまで違います。

“郷に入っては郷に従え。”

自分が選んで来たので、文句を言う暇があれば良いところを見つけるほうが楽に住めるのです。そんなマインドで暮らし始めたので韓国のライフスタイルに適応するのはそう長くはかかりませんでした。

もちろん、牛乳パックの開けにくさ、サランラップの使いにくさ、これらは何年経っても慣れることはありませんが嫌ならキャップ式の牛乳を買えばいいし、日本のラップを持って来たら良いだけの話なのです。


빨리빨리 (早く早く文化)の韓国は、国民からの需要があればすぐに本気を出して、いろいろと新しい便利でかわいい商品やアイテムが一気に販売され始めます。この8年の間にインテリア商品はとても充実するようになり日本でも韓国のインテリアを真似するくらい一気にスピードが加速しています。

初めて来た頃にはピンクや緑、赤のキッチンアイテムがたくさんで衝撃でした。




日本で25年、韓国で8年住んだからこそ両国の良いところ、悪いところいろいろ見えてきますが


(日本+韓国)÷ 2 


こんな国ができたらいいなと、いろんな場面で思うことがあります。




結婚、出産と人生の大きなイベントごとが目まぐるしくあった数年間。


1年ずつ、着実に逞しく韓国のアジュンマへとなりつつあり、子どもを産むと万国共通ですが、さらにアジュンマ度がパワーアップしたような気がします。



いろいろな公共機関で、外国人だからと手続きがスムーズに行かない時も、昔の私なら理不尽なことを言われても、はいはい!とやり過ごしていたはずなのですが気づいたら、言い返していたり、後になってハッとすることが増えました。



子どもが生まれてから、改めて、日本に住むことも視野に入れるようになったのですが、それはいろいろな選択を自分でしていく中で韓国語がネイティブではないこと、25歳までの幼稚園、小、中、高、大学生活を体験したことがないことによる弊害を少しずつ感じているからです。


目の前のいろいろなことを調べて選択していくことにネイティブの方の倍の時間はかかります。そして子どもがいると調べなきゃいけないこともさらに増え、何が正解かわからない時があります。


もちろんパートナーである旦那さんと一緒に調べるのですが、自分でしっかり理解していたい性格なのでこの部分では子育てを初めて初めて韓国で暮らすことの難しさに直面しています。

それでも、10年後には今のこんな悩みも大した悩みではなくなっているだろうと言い聞かせて子育て、仕事、家事に追われながらソウルの隅っこで忙しく暮らしています。




30代の方で私のように韓国へ来て暮らしているからもたくさん見かけますが多かれ少なかれ、母国ではないことによるストレスや、不安、不便ささらに、子育てが始まると、どことなく湧き出てくる孤立感を抱えて、暮らしている人がほとんどでしょう。


日本にいる両親のことも気がかりでしょう。


でも悩んだり難しいことが多かった分、成長できたこともたくさんあります。あの時、来ない選択をしていたらきっと後悔していたと思います。






改めて、韓国で(外国で)暮らすということは外国人として生活することなので、



1. 今までの自分の生活を一旦置いて、新しくスタートさせること。

2. 日本人として育ってきたいい部分は自分のなかにきっちり置いておくこと。

3. 良きタイミングで、上手く使うこと。

4. それを相手に強要しないこと。

これが私が考えるポイントです。




20代で韓国生活に憧れている方には少し苦いお話になってしまいましたが、30代子育て世代のリアルな韓国生活はこんな感じです。



昔と違ってアイドルが好きなわけでもないしカフェやドラマ、ファッションにときめいてる訳でもないし何もかもが刺激的だったあの頃の韓国の匂いや雰囲気が懐かしく恋しくなることもあるけれど、私を説明する上ではまだまだ韓国を省くことはできません。

ライフステージが変わり見える世界が変わった今は必然と、興味の向く方向も変わりそんな私の視点からお届けする韓国の食事や、日常、子育てなどこれからお届けしていきたいと思います。




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